別れの涙は、出会えた事の喜び
ブログネタ: 【ブログ学園】”卒業しなきゃなぁ”と思っている事は?
音楽活動。
自分の所属しているマーチングバンドは、小学校高学年から結婚する前の年の女性が在籍している。
寿退社ならぬ、寿退部なかんじで卒業する人は多い。
寿な予定はないのだから、大きな顔をして居座ってもいいのだが、その場合自分で幕を引かなくてはいけない。永遠に終わらない舞台がないように、永遠に終わらないバンドもないのだ。
少し意味がちがうかな。
自分の世代から次の世代へとバトンを渡すのだけれど、いつ託して、いつ自分が舞台をおりるかは自己判断。この自己判断というのが、一番難しいと私は思う。
卒業というと、学校の卒業なんかが一般的で、あれはある一定の時間で区切られて、自動的に誰かが幕を引いてくれる。もちろんこちらの意図などとは関係ないので、そこに憤りを見いだそうとすればできるのだけれど、慣れてしまえばこれほど楽な事はない。
例えば夜遅くまでゲームをしていて、お母さんが「もう寝なさい」と声をかけてくれる。ぶつくさ言いながら、寝床につく。大人になったら、思う存分ゲームするんだなんて、手を握りしめながら熟睡する。
でも、いざ大人になって夜中までゲームをしていて、明日は会社があるのだけれどというとき。自分でセーブして寝るという作業がなかなか難しい事に気がつく。ずるずると徹夜なんかしようものなら最悪だ。仕事にならない。仕事が終わって帰ってきたら爆睡して、それなら小分けにして、ほどよくゲームしたほうがよっぽどよかったと後悔する。でも、繰り返す。あるいは、コントローラーをにぎりしめたまま、寝落ちなんてことも。
話がそれたかしらん。
つまりは、自分で幕を引くというのが、実は一番難しいと私は思う。
小学5年生からやってきた事で、本当にたくさんの事を教えてもらった場所を、いかようにして去るべきか。それこそ、一番最後に一番難しい課題を投げかけられた気分だ。
適当に決めて去って行く人もいる。最後を自分なりに悔いが残らないよう、やりきって卒業する人もいる。その違いは10年後に会ってみるとはっきりと分かる。5年後でもいい。
やりきった人は、その時の感動と喜びと共に年をとっていく気がする。いつでもあの楽しくて苦しくて、最高に充実した日々に戻って来れるのだ。再会を喜び、笑顔で抱き合える。
一方そうでなかった人は・・・その人の人生が楽しくないというわけではないのだろうと思う。でも、関係者にあった時の表情は、なんとも自信がない。できれば会いたくなかったという表情、小さく小さく、遠く遠くへと心も体も離れて行く。
私は、私が、一番大切で、一番暖かい、大好きだと思える場所に、そこにいる人に、ただ笑顔で会いたい。その場所と人に、いつでも胸をはって生きていたい。ただ、それだけ。
それだけなのに、とても難しい。
だって、そのためには胸をはって卒業しなきゃいけない。
胸をはって卒業するには、今を精一杯頑張らないといけない。
精一杯頑張るって、なかなか難しい。
人間は弱いから、色々いいわけして、自分の弱いところとか見ないようにしているけど、自分の事は自分が一番わかっているから、「これは言い訳だ、まだやれるのに、サボっているな」って自分では分かるもの。わかっちゃったら、精一杯ではないでしょう。
もちろん、いつもいつも精一杯でいると疲れるから、そんなことはしなくていいんだけど、最後の時ぐらいは精一杯でないと、笑顔がくもってしまう気がする。
いつから走り出すの?いつが全速力?いつ、ゴールをきるの?
それを今、考えている。
いつ卒業するの?っていうのは、私にとってはそういうこと。
新しいスタートをいつからはじめるの?
暖かい友人のいる場所を旅立って、一人で根をはるのはいつ?
一人で根をはるというと、何だか孤独な感じがして、少し考えた。
多分「独り」ではないのだと。
つながっている、同じ記憶と志をもった綿毛が旅だって、知らない場所に根をはる。寂しいのではなくて、嬉しい旅立ち。だって、そうして花畑ができあがるから。
自分も、そして、友人も、必ずどこかの土地で根を張り、花を咲かせる事ができると信じているから。お互いにその姿を喜び合えると信じているから。
そのための、スタートとしての卒業。
スタートのための助走。
そういうワクワクする期間を、大切な友人達とすごせるなんて、とても幸せな事だ。
多分、涙が出るぐらい、とても素敵なスタートなんだ。



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