喧嘩するほど・・・
もうちょっとで実習おわり。初授業もまあまあうまくできました。時間配分むずかしくて(時計をおいとくのもわすれ)5分はやく終わっちゃったんだけどねw
毎日事件しかおこりません。けんかしたとか、怪我したとか、インフルエンザ出たとか。今の時代なので担任の先生はちゃんと保護者に一つ一つの経緯を報告します。
けんかはほんとにしょっちゅうおこるのです。こないだは私が見てて、同学年の担任の先生がみんな職員室にいたときに、二クラスまたがっての大げんかでした。
私が一番怒ったのは、けんかしている二人が蹴っているのが、全く関係のない、その日休んだ女の子のプリント綴じだったところでした。絶対ふたりであやまるように、と言い渡しているときが一番怖かったらしく、クラスの他の子がちょっと引いてた様子でした。
けんかについては、やったやってないの言い合いだったし他に目撃者がいない以上どうこう言う事もできないので、相手に暴力を振るうことと、暴言を吐く事のみ注意していました。
その時に思ったんですが、喧嘩って悪い事ではないと思ってる私はダメなのかな?ってこと。
だって、けんかなんか私もするし、腹立つ事なんか大人になっても山のようにあるわけじゃないですか。
ただそこに暴力とか暴言とかを持ち込むことがいけないだけで、喧嘩することがいけないのでしょうか?
皆仲良くと標語を掲げても、実際にそれは守られないし、喧嘩のまったくない人間関係ってつまりは弱いものが常に我慢を強いられているということになるんじゃないでしょうか?
生きていれば、意見のあわないことは山ほど出てきます。大人でも子どもでもそうでしょう。意見がぶつかった時に、腕力や精神的に打撃を追わせる事で解決しようと思うのは、あまりに幼稚でお互いに傷つくだけで発展性がない。
でも、喧嘩して頭を冷やして、相手と自分をみつめて、仲直りするまでのプロセスはとても大切なものだと私は思うのです。それを勝手に終了したり、まったく納得いってない「ごめんなさい」でおわらせるのはおかしいでしょう。
先生達のすごいところは、喧嘩している二人を怪我がないようにしつつ、静かな場所でちゃんと二人の言い分を聞いて価値判断をして、仲直りまで導くことです。毎日それをやるんだから、すごい精神力でしょう。
ただ私にはそれがまだできない。実習生がそういうことをするというのは、先生方のお仕事の妨害になるおそれもあるし、何より子どもとの信頼関係がまだそこまでいってないのだと思います。児童が理由を言ってくれなかったりもよくしますし。
ここがネックなんだと思うのです。腕力によって物事が解決しないことを覚えて、人にも自分と同じだけの権利があるんだってことを理解するための。
「自分がそんな事されたら嫌でしょう?」という言葉はもう使えなくなりました。たいがいの子は「別にいいよ」と言うからです。それに、人それぞれ痛みの度合いは違うものです。触れられただけでも飛び上がるほど痛い子もいれば、少しの言葉でも深く傷つく子もいる。自分とはまるで痛みや感じ方の尺度は違うのです。自分とはまったく違うということも理解しないといけない。
こういうふうに書くと、最近のメディアの影響で、絶望的な現実っぽくきこえるかもしれませんね。でも、そんなことないんですよ。自分が悪いと思った事は、ちゃんとあやまります。先生や皆の前でてれくさくて言えなかった子も、あとでその子のところに行って、何回もごめんねって言うんです。
興奮してた時は口汚く罵っていても、次の日にはけろっと抱きついてくるのが子どもです。最初の一週間、蹴られたり叩かれたりの洗礼を受けていた私ですが、最近はどの子もそんなことしなくなりました。飛びついてくるのは多いんですがね。あれは、次の日筋肉痛になるんですよw最初の時は私の周りのものを取り上げて返さなかった子も、最近「ちょっと待って、もうちょっと見せて」とちゃんと言えるし、満足できたら返してくれるようになりました。
学校って、喧嘩も含めて「人との関わり方」を学んでいく場所なんだと改めて思いました。
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