大雨と高速の同梱版




オバマ大統領就任ですねヽ(´ー`)ノ
人気があるとか、特需がどうとかって話がニュースを賑わせてましたが、そういうのを抜きにしてすごいことだなぁって思います。
昨日はどうしても聞きたくなってマーチィ・ルーサーキングの「I have a dream」とか「we shall over come」←演説のほうね。を聞いてみました。
今キング牧師が生きていたらどんな気分だろう。ローザ・パークスさんもそうです。あの時代を生き抜いてきた人達が、今この時にどんな気持ちでいるか。考えてみると、スゴいじゃないですか。
歴史的瞬間に生きていて、それを感じることができる。自分の幸運と使命を考える日々です。
今、たくさんの問題が集積する現在、でも変わっていける、変えていける、そういう希望を世界に示したんだと思います。たくさんの思惑が交錯していたとしても、事実に歴史に刻みつけられた一つの勝利の姿に、私は感動するのです。
今までに積み重ねられた全ての悲哀と、犠牲と、苦難と、それらにまけなかった民衆の力に心から敬礼をしたい気持ちです。


「感じる」ことについて記事を書きましたが、もうひとつ引っかかっていることがあります。実果さんのくださったコメントをみていて、思い出しました。「答えが用意されている」という現状について。![]()
職場では小学生のお子さんを持った親御さんもいっぱいいらっしゃいます。もちろん、私が先生志望なのはご存知なんで、みんな嬉々として学校や先生の話を聞かせてくださいます。夏休みの宿題の話になったときのこと、息子の絵を描かなきゃいけないと嘆いていたお母さんがいらっしゃいました。![]()
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「それは、学校から親子で作品を仕上げてくださいって言われてる課題なんですか?」
最近はそういうのもあるのかとおもって、きいてみたら、どうやら違うみたいです
「だって、ウチの息子にやらせたらなんや、めちゃくちゃになるんやもん。もちろん、ある程度は描かせるんよ。でも、仕上げは私がやったらんと」![]()
「それ、息子さん怒りませんか?」
「いや、何にも思てないみたい。感謝もせーへんわ」![]()
「息子さん、絵描くの好きじゃないでしょ」
「そうやねん。もっと絵、上手になってほしいねんけどなぁ」
それは、難しいかと・・・![]()
もし少しでも絵を描くことが好きなら誰かの手を加えられることは許せないんじゃないかなぁ。小学校中学年とおっしゃってましたから、はじめて絵を描くわけでもないのに、自分の作品に手を加えられるなんて、私なら発狂モノですW![]()
そういう気持ちが起こらないのなら、絵に関心はないのでしょう。ただの課題として仕上げるべきものなだけで、手伝ってもらえただけ、ありがたいのかもしれませんね。そういう気持ちなら絵に興味はないし、興味の無い絵がうまくなることはありえないと思います。![]()
でも、なんていうか、絵は飾られるわけですよ。で、先生に誉められたとして、その子はいったいどんな気持ちになるんだろう。自分の描いたわけじゃないのにと思うか、あるいは、得したと思うか、特に何も関心が無いか。どの気持ちになっても、あまり有益な教育成果だとは思えないんですよね。
お母さんとして、かまってあげようという気持ちはすごく大切だし、子どもと一緒に作業するのもとても素晴らしいことだけど、なんでも成果を取り上げるのは、よろしくない気がしますよ。と、以上の内容をそのまま話してみました。よくよく聞いてみると絵だけじゃなくて、習字もドリルも、課題研究も木工作品もすべてにお母さんの手が加えられているそうだったので。学校の先生は手が加わってるなんて分からないし、その絵で賞ももらったことあるのよ、と言ってらしたんです。失敗するのも大切な経験だし、自分の手で何かをやり遂げた成果だから、見えてくるものもあると思うんです。というようなことを生意気ながら言いました。![]()
共感をえられたかどうかは難しいところですが、なんだか放っておけない気がしたので。そうそう、確かその時期ぐらいにあの秋葉原へトラックがつっこんだ事件があったんだと思う。だからすごく気になったの。
そういう環境の子ってけっこういっぱいいるのかなぁ。結局周囲に依存するしか生きて行けなくなるんだろうけど、それでもうまくやっていってる子はたくさんいるしね。でも、本当の自信は皆無だし、本当の自由もないんだろうなぁ。ダメってこともないけれど、損だろうなと思う。見えない籠の鳥だから、もし籠が空いても、飛び立たないか、飛び立てないか、飛び立っても苦難に耐えていけるかどうか。子どもの時に味わったであろう挫折や苦労をまとめて味わうことになっているだけだとしても、その人にとってはとても痛いこと。絶えられないことなのかも。もちろん、どんな風に子ども時代を過ごした人だって、自分がなりたいと思うなら、どんな人にでもなっていけると私は確信しています。そのための時間とプロセスがいるだけで、不可能なわけではない。
「失敗を味わうチャンスを、奪うわけにはいかんやんか」
というのは私の後輩に対する口癖なんですがW
何か仕事を任せた時に、「私にはできないから、やってください
」って言われたらよく言います。その後に
「失敗するから見えるものもあるから、全部ぐちゃぐちゃになって収集つかんくなったら、私が責任取るから、それまでやってみてWW」
そういうこと言うからドSとか言われる・・・・![]()
最初はドン引きされるんですけど、なれると平気みたいです。後輩達もなれてくると、できるとこまでやって分からなくなったら聞きに来るぐらいになってきました。私との付き合いが長い後輩の中には自信皆無だった子もいたけど、ずーっとそうやって(ちゃんと励ましたり、他の話もしたりしましたよ)接してきて、今は色んなことを任せられる人になりました。彼女の成長は目を見張るものがあります。人はこれだけ変わっていけるんだっていつも勇気をもらえます。![]()
彼女がいるから、どんな風に育っても、人は人との関係の中で成長し変わっていける。と確信できたんです。目に見える変化を起こすには、まず心が変わらないとね。心を育てることと、感じること。この二つはとても密接に関係していて、とても大切なことだと思っています。![]()
感じる教育、心を豊かにする教育。ゆとり教育の目的もここにあったんですけど、手段に振り回されすぎました。根幹の考えはとてもいい教育方針だと私はおもってるんですがねぇ。それが「ゆとり」なんて言葉で馬鹿にされるのは、心が痛みます。
今、時代は「脱・ゆとり」。効果的かつ効率的に知識を詰め込む教育へ変換しようとあせって、昔の詰め込み教育の手法を持ち出してきつつある現状に、すごく恐怖を覚えるんですよね。この現状のままそういう手法をとってしまったら・・・どうなるんだろう。![]()
それでも、図太く賢く生きていく人もいっぱいいるでしょう。案外人は強いもの。でも、そのなかで悩んで苦しんでいる人がいるなら、何かできないかなって思う。
でも、まあ、目に見えない人は救えない。
概念としての誰かを救うことはできない。だからこそ、目の前にいる目に見える人を大切にするしかないし、それこそが一番大切なのでしょう。
レッドクリフみちゃった。あれ、上下作なんですね。パート2があるんだぁ。
三国志大好きな一家なもので、見終わったあとも色々と話し合っておりました。良い映画でした。
登場人物がとても魅力的。私の大好きな伏龍先生を金城武がやっておりました。あの人素晴らしいですね。男前なだけじゃなく、役者としてとても幅広い経験とバックグラウンドをもってらして、そんな人に演じてもらえて大満足です。
日本からは中村獅童さんも出ていましたよ。さすが元海賊って感じのいいアクがでていましたw
俳優さんたちがとても豪華でしたが、そういう豪華さを忘れるぐらいに役にはまっていた感じです。っていうか豪傑すぎっ!どんだけ一騎当千!そのままアクションゲームになりそうな豪傑っぷりでした。
孔明や美周朗は戦略の天才ですから、やっぱりそういうところで彼らの魅力が見えてくるわけですが、ちゃんとそういうところも描いてあって、三国志好きな人をうならせる演出だと思いました。小説なんかを読んでいても、計略がどう動いていくのかは、想像するしかない。映像にするとこんなんなんだ~って感動します。
多分、三国志をあまり知らない人でも、楽しめると思います。ちゃんと名前が下の方に出てくるし、説明も短いけど大切なことはおさえているので、前知識がなくても大丈夫。でも、やっぱり先に色々読んで登場人物に思い入れがあると、それはそれで深読みというか妄想できて面白いと思う。実際の史実と、「三国志演義」では、少し違ったりするし、今は色々な解釈の本が出ているので、どれをチョイスするかによると思いますが、「この人こういう人なんだよなぁ」っていうのが大体分かっていると、沈黙がますます魅力的に見えてきます。このときこの人はこう思ったんだろうなって妄想する余地が残っている映画って、いい映画だと思うんですよね。
大三国志展も面白いですよ♪英雄達の生き様は、やっぱりカッコイイのです。そのかっこよさを存分に楽しんでくださいね☆
最近よく考えるのが「感じる」ということについて。
きっかけは多分ラジオで。とある女性作家さんが「女性は元来〝感じる〟ちからが強いもの。でも、最近はそうでもない女性が多くなってきましたね。やっぱり色んなことを感じ取れる女性としての感性を大切にしていきたい」というようなコメントをされていたのを聞いて。ああ、そうだなって思ったのが最初です。
じゃあ、感じるってどういうことなんだろう。
例えば、「美しい」と感じるとか、「悲しい」と感じるという、気持ちの多様さ。
あるいは、相手の心を感じ取る能力。
ほかには、「分かる、理解する」ということの内在化。1センチは、大体わかりますよね、1メートルもなんとなくわかります。でも、1キロは?授業で、1キロあるいて体感させたっていう話を聞いたことありますが、そうでもしなければ、1キロなんて感覚としてわかります?ちなみに私はあんまりわからないです。音楽をしている人なら音の高さが分かる、というのもあるし、私はドラムですから、テンポの速さなら、だいたいわかりますよ♪
そういうことと、もうひとつ、哲学的、道徳的な内在化もあるでしょうね。
私が今、後輩に伝えたいのは「音楽の技術と、伝えたい心っていうのは別のものではないんだよ」ってこと。技術と精神って、よくバランスが難しいみたいに考える人が多いし、私もずっとそうだった。でも、そうじゃないんだってことを私は感じることができたんです。それを伝えたい。でも、頭で理解したとして、それは何の意味も無いんですよね。知識としてインプットされることに何の意味ももたない。心で感じてもらってはじめて、音にあらわれてくるものだと思うのです。
人にとって感じるってことが、とても大切な気がしてきました。
そんなときに、チャーリーチャップリンの台詞と出会いました。
「We think too much but feel too little」
独裁者の中で、チャップリンが演説する場面だそうです。ぜひ見てみたい作品です。
考えることは大切です。でも、人生の難題を前にしたとき、私たちはよく理屈で考えてしまう。そうなるとますます八方ふさがりで、気分がめいってしまったりして。案外自分の気持ちに正直に選択するほうがうまくいくことのほうが多い気がします。というか私がそうしているんですけどw
だって、理屈では絶対無理って分かってても勝負するときって、いっぱいあるもの♪そういうときに理詰めで考えても否定的な要素しか見つからない。でも、自分が本当はどうなりたいのか、どうしたいのかだけを見つめて決断して行動すると、思ってもみなかった力が出せたりしませんか?
まあ、そういうことをおいといても、感じることは人間にとって、とても大切な要素だと思います。チャップリンの台詞は人の痛みを感じるとか、想像力を働かせるという意味をもった「感じる」ではないかと私は思っています。もちろん他の解釈もあると思いますが、感じることは人にとって大切なことであるのは、事実でしょう。
一方今の子ども達の現状を見てみると、感じる余地ってあるのでしょうか?頭では分かってるけど、心で納得してない。そんな子達がいっぱいいるような気がするんですよね。
私がマーチング教えている子の一番最年少は小学生ですが、彼女達ってとっても頭がいいし、お行儀がいい。でも、やる気が無いんですよね。波風立てずにうまくやる事は覚えたけど、楽しむ方法は知らないみたいな。それでもって、圧倒的に自信がない。だからすぐあきらめる。一年かけてやっと私の言うことを共感して聞いてくれるようになったので、最近はそうでもないんですが、やっぱりそういう特徴は見え隠れします。
「感じることができる人」を育てる教育。これからも考えていきたい課題です。
親戚同士であつまります。と昨日のブログに書きましたが、今回も例にもれず集まりました。![]()
で、いとこの子どもたちというのも集まるのですが、そのなかに小学生のいとこ姪がおります。彼女にはぽち袋を用意する前にあってしまったので、
「ごめんな、お年玉まだやねん。あとで持っていくから」![]()
って言ったら、
「了解。リーガルウエポン投入よろしく」![]()
って言われました。
「なにそれ?」
って聞いたらお年玉のことだそうですw![]()
「学校でそう言うの流行ってるん?」
って聞いたら、その子だけが使っているそうですw
リーガル=合法的な、法律に関するという意味ですが、合法的な武器ww自分の立場をよく理解しているというか、なんというか・・・・
笑ってしまいました。私の中でしばらく流行りそうな気配です。「リーガルウエポン
」w
他にもいとこの子ども達はたくさんいるのですが、その中の一人には、新年の挨拶をしたら、目をそらされてしまいました。なんだか知らない人なんだけど~って感じで。まだ4歳ですしねぇ。しょうがないのかなぁ。
でも、となりに住んでるんだけどww![]()
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そのこの妹は覚えていようがいまいが関係なくふてぶてしい態度をとれる大物な性格なのですが、お姉ちゃんのほうは人見知りなので、忘れられたら大変です。せっせとお菓子や何やらを貢いでおかないと、すぐに忘れられてしまうようです。![]()
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私もくるくるにパーマをあてたので、それで分からないんだ。きっとそうなんだと、気を取り直して餌付けにせいを出すとしますか。![]()
コネタマ参加中: お正月の楽しみは何?
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。![]()
正月の楽しみですか・・・もちろん、食べ物ですね。母方の雑煮は白味噌なんです。甘くておいしくてそれも大好きなんですが、父方の祖父母に挨拶行ったときはおすましが出てきます。2種類の雑煮が食べれるなんて嬉しいですねwでも最近かに鍋の出汁にもち入れて勝手に食べてってのが祖父母宅での定番になりつつあります。おばあちゃんも大変だろうし、ぜんぜんいいけど。祖父母とは別居なんで、帰りには畑で取れた野菜などいただいて帰ります。![]()
祖父母の手抜きはまだいいですよ。でも、最近母の手抜きが目立ってきました。仕事してるし、しょうがない部分はあるんだけど、買ってきたもの盛るだけって、しかも盛るの私だしww母は料理がうまいです。だから作ったらおいしいもの作れるんですよ。難しいといわれるおせちだって、作ろうと思えば何も見ずに作れるようです。でも、作らない。めんどくさいからw![]()
甘いもの好きな子どもたちは「栗きんとんだけは作ってほしい~~~」と訴えるのですが、去年からスルーされてます。私がつくればいいんだろうけど、どうせならおいしいものが食べたいのです。母が私に料理を教えるなんていう手間なことをするわけもないですし。うむ~~![]()
そうそう、母方の祖父母にも会いにいきますよ。こちらは酒持参でwwおじいちゃんが酒豪でねwたばこもだいぶやるひとだったので。親族皆で年始の挨拶に墓参りです。毎年「彼氏作るから」とか調子いいことを心の中で言って帰ってきますが、いまだに実行されないので、多分ふたりともあきれてますねw![]()
うちは親族も仲がいいです。墓参りも終わったら、子ども世代は集まって花札をはじめます。株札もやりますが、楽しいのはやっぱり花札です。100円とかだけど、お金もかけます。大人はお年玉奪還のチャンスと思って、子ども達のいいカモになりますw大人は酒宴、子どもは雑煮とか食べながら花札大会。![]()
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これがうちの正月ですかね。![]()
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